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西東京市

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その誕生は今世紀に入ってから
西東京市は武蔵野のベッドタウン

1.元宿場町と農地から転換したベッドタウンが
合併して誕生したのが西東京市

西東京市は、東京都の多摩地区東部に位置しています。 元は今の市域南部が田無市(たなしし)、北部は保谷市(ほうやし)という別の市でしたが、2001年(平成13年)、21世紀最初の市町村合併によって誕生した新しい市です。 合併の際の新市名に関しては公募され、その中からいくつか候補を絞ったうえ、市民の意識調査を踏まえて決定したとされています。

しかし「西東京」は「旧東京府の西部」を指す言葉として元々あり、旧東京府に照らし合わせると、府域の中央部にある市に「西東京」を用いるのはいかがなものかといった意見や、東京という市があるわけでも無く位置的にも不正確だという意見もありました。 その他にも「東京」は、明治維新期に「東の京」という意味から付けられた名称で、「西東京」では「東の京の西」という意味あいになってしまうとか、元々市内の地名に南町、東町、北町と方角の付くものが多く、東京都西東京市北町となった場合、方角だらけの住所表記となってしまうなど、様々な異論が相次ぎました。 とはいえ、結局市の名称は西東京市に決定し、名称の中に方角が2つ含まれる全国唯一の市として、市の名称の意味合いがよくわからない印象のまま現在に至っています。

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2.市域の発展は川沿いから
古来から人が住んできたのが西東京市

西東京市は東京都のほぼ中央北部に位置しており、東は練馬区、北は埼玉県と接しています。 市域は武蔵野台地に乗っていて、市内に石神井川(しゃくじいがわ)、白子川、新川、玉川上水から分岐した仙川上水が流れていたため、比較的水利に恵まれています。 市域には多くの遺跡もあり、旧石器時代から人が住んでいたことがわかっています。 市域南部の東伏見稲荷神社遺跡や、縄文時代の住居跡約390軒、掘立式建物跡19棟などが発掘された国史跡の下野谷遺跡は、石神井川流域にあることから、古くからあまり流れが変わっていないこともうかがえます。

一方、市域北部の白子川流域からも、北宮ノ脇遺跡、上前遺跡、中荒屋敷遺跡などが発掘されています。 保谷の地名は、熊野那智大社文書(1504年~1555年)に「ほゝや」、小田原衆所領役帳(後北条役帳)(1559年(永禄2年))には「保屋」「田無」の文字が見られることから、その頃には保谷と田無の周辺で村落が形成されつつあったことがわかります。 1606年(慶長11年)には青梅で採れる石灰を江戸城造営のために運搬する目的で、成木往還(青梅街道)が開かれます。 成木往還は「江戸道」「小川道」「箱根ヶ崎道」「あふめ道」「東京街道」「甲州脇往還」など、様々な名称で呼ばれましたが、1880年(明治13年)から1886年(明治19年)にかけて陸軍によって作成された地図によって「青梅街道」の名称が固定化されたといわれています。 田無にはこの成木往還の田無宿が置かれ、以降は宿場町として賑わいます。 保谷では新田の開墾が数カ所行われ、中でも千川上水の整備によって開墾された上保谷新田は順調に収穫が増え、後に上保谷新田村として独立を果たしています。 1889年に開通した現在のJR中央線である甲武鉄道は、当初青梅街道沿いに敷設が予定されていました。

しかし田無の農民や地域住民などが反対したため、市域を通る青梅街道より3kmあまりも南の、現在の中央線のルートを通ることとなりました。 江戸時代には交通や流通は、街道筋を中心に行われてきました。 明治期に入ると輸送力で勝る鉄道の登場によって、様相は大きく変わるのですが、その潮目を完全に読み違えた形となって、鉄道の駅から遠く離れた田無宿とその周辺は、次第に寂れてしまいました。

一方、新田開発が順調だった保谷では、地元の有力者などが積極的に現在の西武池袋線である武蔵野鉄道池袋線を誘致して、1915年(大正4年)の池袋駅~飯能駅間の開業と同時の、保谷駅の開設にこぎつけました。 その後、1927年(昭和2年)に現在の西武新宿線である西武鉄道村山線が開業。 同時に東伏見駅、西武柳沢駅、田無駅が開設されました。 昭和に入ってからは旧田無の市域に軍需工場が建設され、シチズン時計や東洋光学硝子製造所(現HOYA)の工場も操業をはじめるなどしています。 市域は早くからベッドタウン的な位置づけをされていましたが、戦後の1959年(昭和34年)、保谷町と田無町(当時)、隣の久留米町(当時)にまたがる中島航空金属田無製造所の跡地に、日本住宅公団が最大の公団住宅を造成します。 その公団住宅はひばりが丘団地と名付けられ、団地内に市役所の出張所やスーパーマーケット、公園や学校などが整備され、それ自体が一つの街として機能する、団地という住居形態の端緒となりました。 ひばりが丘団地は各方面からの見学が相次ぐなどして、一気に人口が増加し、周辺の農地から宅地への転換も一層進んで、1967年(昭和42年)に田無町と保谷町は市制に移行しました。

このベッドタウン的な動きは現在も続いていて、意外かもしれませんが市域内には工場跡地なども多く、工場の移転や閉鎖の後には大規模なマンションの建設が行われています。 従って人口も減少すること無く推移していますが、通学や通勤で市外に出る人は多く、また交通のアクセスが良く、池袋や新宿、吉祥寺、渋谷などの繁華街への移動も容易なので、市域内の商店での購買額が低く、商業分野の低迷が続いています。 また、市街化が急速に進んだために道路整備が追いつかず、市内には駅の側でさえ狭く曲がりくねった道が続いており、都市計画道路に予定されてはいるものの、工事が進んでいない箇所も多くなっている状況です。

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3.西東京市ではごみの分別を頑張って
指定収集袋に入れて出しましょう

西東京市ではごみの種類を可燃ごみ、不燃ごみ、プラスチック容器包装、びん、缶、ペットボトル、せん定枝・落ち葉・草・紙おむつ、廃食用油、金属類、小型家電、古紙・古布類、有害ごみ、危険物に分けていて、収集に出すにはそのルールに従って分別しなければなりません。 分別をきちんとしたうえで、決められた曜日に決められた集積所に出す必要があります。

また、可燃ごみ・不燃ごみは可燃ごみ・不燃ごみ専用の指定収集袋、プラスチック容器包装類も専用の指定収集袋に入れて出すことが義務付けられています。 各指定収集袋は有料で、市内のコンビニエンスストアやスーパーなどで購入できます。 東京23区以外の自治体では、こうした有料の指定収集袋を導入しているケースが多くありますが、西東京市以外の指定収集袋や、指定収集袋以外を利用して出した場合は収集されませんから、注意が必要です。 どういったものが可燃ごみや不燃ごみになるのかや、資源になるごみの分別ルールは、西東京市のホームページに詳細の説明がありますから、参考にしてください。
※変更されている可能性もありますから、詳しい情報は必ず西東京市のホームページなどで確認してください

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4.西東京市の粗大ごみ・不用品回収事情とは

西東京市の粗大ごみ・不用品回収事情

西東京市では家具や寝具など、品物の最大辺(最も長い1辺)がおおむね30cm以上のものを、粗大ごみとして扱っています。 また、テレビやエアコンなど、家電リサイクル法で定められた家電製品や、スプリング入りマットレス、耐火金庫など、適正処理困難物についても、市での回収を行っていませんので、その点も注意が必要です。 西東京市に粗大ごみの収集を依頼する場合は、粗大ごみ専用ダイヤルに電話かインターネットで申し込みをします。 受付の際、粗大ごみの名称・寸法・数量を訊かれることもありますから、電話で申し込む場合には事前に調べておくと良いでしょう。

西東京市では1回に申し込める粗大ごみは、原則5点までという制限が設けられていますから、多数の粗大ごみがある場合には、数日に分けて申し込む必要があります。 申し込みをすると処理手数料の案内がありますから、市内の粗大ごみ処理シール販売所で必要な分の粗大ごみ処理シールを購入し、必要事項を記入して粗大ごみに貼り、排出場所に出しておくという手順になります。 収集に立ち会う必要はありませんが、粗大ごみ処理シールが貼られていない、料金が不足している、申し込みと異なる品目のものが出されているなどの不備があった場合は収集されませんから、漏れがないかなどの確認が必要です。 西東京市に限ったことではありませんが、粗大ごみ回収は混み合っていて、順番に収集日を案内されるのが基本なので、希望の収集日に申し込めるとは限りません。 引っ越しなどの予定がある人は、はやめに申し込みをしておいた方が良いでしょう。

また、市の職員は決められた排出場所からの移動にしか対応しません。 部屋や家の中からは自力で運び出す必要がありますから、もしそれができない場合、人手の手配を考える必要があります。 友人などに頼むのも一つの手ではありますが、そういった場合には不用品回収業者へ依頼するのがおすすめです。 不用品回収業者なら、回収の日時も希望通りになりますし、業者側のスタッフが部屋からの運び出しに対応しているので、様々な心配をする必要がなくなります。 また、分別が必要な細かい不用品が多数ある場合も、そのまま任せてしまえるので、忙しくて整理や分別の時間がとれないという方には特におすすめです。

不用品をごみとして出す場合、あまり費用をかけたくないというのは人情です。 なるべく安くと考えるなら、西東京市に粗大ごみとして収集依頼するのがベストしょう。

しかしその一方で、収集日が希望通りにならなかったり、大きくて重いものを運び出さなければならないなど、ネックになる要素が含まれています。 忙しくて分別ができないので代わりにしてほしい、重いものを運び出すことができないから誰か運んでほしい、引っ越しの日が迫っているのですぐに回収にきてほしいというニーズを叶えるのが、不用品回収業者です。

とはいえ、不用品回収業者は数が多く、中には悪質な業者があるのも事実です。 業者を選ぶ場合は、まず業者のホームページを確認して、基本的な料金や会社の概要などがきちんと記載されているか、矛盾が無いかをチェックしてください。

また、特に不用品の点数が多い場合などは、3社程度に依頼して、複数の業者から相見積もりを取るようにしましょう。 見積もりは一般的に無料ですから、訊いたことにきちんと回答しているかなど、見積書と併せて確認して判断するようにしてください。 西東京市でも自力で運搬できない場合にそういった業者の紹介をしていますが、やはり搬出・収集運搬費用がかかるので、各業者の比較検討も含めて判断するように促しています。